心の変化ストーリー①

今日は私がこのブログを書こうと思ったきっかけを書こうと思います。

 

私は3人兄弟で姉とは9歳、兄と7歳離れて生まれました。兄が「弟が欲しい!」と言ったため生まれたようです。結果は妹でしたが(笑)、よく兄におんぶをされて可愛がられていたようです。

 

私の両親は私が生まれた時から仲が悪く、いつも喧嘩ばかりしていました。母親が家を出て行こうとするシーンを今でも覚えています。

2人の性格は、母親は真面目で心配性で石橋を叩いて渡るタイプ、対照的に父親はヤクザに間違えられるような強面で、自己中心的、常識はずれなところがありました。自営業をしていて、母親はその経理をしていました。

二人の育った環境によるものですが、そこについてはまた別の記事で書きたいと思います。

 

父親は帰りも遅く、また外に女性を作り、母親は本当に苦しく悔しい思いを抱えていました。そんな母親を見て私はとてもかわいそうに思い、母親の喜ぶ顔が見たいと思い勉強や賞を取ることを頑張りました。

逆に、父親に対しては憎しみを感じていて小さい子供なりにどうすれば父親を苦しませることができるのかを考えました。そして子供なりに考えた方法は『父親には笑顔を見せないこと』でした。

 

私は母親を守りたい思いで父親に対して暴言を吐いていました。

しかし、それは私の思いとは裏腹に、母親は「あんたがお父さんにあんなこと言うからお母さんが怒られるのよ!」と私に言いました。

父親は暴言を吐く私を怒らずに、母親に「お前の教育が悪い」と言っていたのです。

 

私はお母さんのことがかわいそうで、守りたい思いで父に暴言を履いているのに、

 

え!?本音を言ってはいけないんだ!とショックを受けました。

 

日々の会話では、母親は「お父さんみたいにならないようにね、お母さんのいうことを聞いていれば大丈夫だからね」といつも言われ、何か失敗をすると、「ほら!お母さんの言うことを聞かなかったからでしょ!」と言ってくるので、

 

お母さんが言うことは正解で、自分の考えは間違っているんだ。

 

と思うようになりました。

父との仲が悪い母は、その分子供に目を向け、特に末っ子の私に過干渉になりました。

 

私は無意識に母親の基準で物事を決めるようになり、将来の職業も母親が「女性でも一人で生きていけるように、薬剤師か看護師、もしくは栄養士など資格を持てる仕事にしなさい。」と言われ、薬学部の道を選びました。

 

そして毎日喧嘩の絶えない実家暮らしに限界を感じ、私がいなくなれば二人の仲が良くなるんじゃないかと期待もして、29歳の時に実家を出ることにしました。

 

実家を出れば母親の過干渉もなくなり自分の思い通りに生きていけると思っていました。

しかし、私の無意識には、母親は正解で、自分は間違っている。母親の基準で物事を決める、というパターンがあり、一人暮らしをしても考えの基準は「お母さんだったらどうするだろう?」と考えてしまうのです。

好きな洋服を買おうとするときも、「お母さんはこの洋服はどう思うかな?」と思い、

全く自分の人生を生きている心地がしませんでした。自分で決めることにも不安が付きまといました。

 

『母親』が『相手』に変わり、相手の基準で生きる人生にかできなくなってしまいました。

恋愛も4年間遠距離恋愛をしましたが、相手に合わせて迷惑かけないように、喧嘩をしないようにしていたので、あなたがわからないと言われてしまいます。

 

自分でも自分が何を感じ、何をしたいのかわからないのですから当たり前です。

 

私は本当に自分の軸を持って生きていける人間になりたい!と思い、自己啓発成功哲学、スピリチュアルの世界をセミナーや本で勉強しましたが、これで自分の解決したいものが解決できる!というものには出会えませんでした。

 

そんな時に色々相談に乗ってもらっていた方から何かヒントが見つかるかもということでNoh Jesuさんを紹介してもらいました。

 

つづく